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ザプロファイラーで杉原千畝の一生を見ました。 [テレビ番組]

2014年3月3日月曜日の17時~18時の間にザプロファイラーという番組で杉原千畝の特集をやっていました。
彼は小学校時代の通知表が全て甲(今でいうオール5)で成績優秀な少年だったようです。
彼が中学に入った時、英語を堪能にしゃべることができる人間は特別な人間みたいな憧れから英語を堪能にしゃべる仕事にあこがれを持ち、英語の教師を目指していたようです。
しかし、父からの強い勧めで医学校を受験させられます。
しかし、白紙答案を書いて意図的に不合格になるなど、自分の意志を貫く姿は以前の私に欠けていた姿であり、痛快であり、羨ましく、自分も出来るならこうでありたかったと、過去の自分を思い返すに至りました。


私は、中学校時代、富山南高校に行こうと思っていたのですが、様々な諸問題から勉強に手がつかず成績が落ちてきました。三者懇談会の時、今まで南高校に行けるだろうと言われていたのが、安全圏は富山商業と言われた為、親からは富山商業を受験するよう言われました。志望校をめぐって喧嘩になり南高校を受けるのであれば家から追い出すみたいなことも言われたため、親に従い富山商業を受験し、合格するに至りました。
しかし、素直に喜ぶことは出来ませんでした。富山商業は商業科目と部活動が盛んだったため、私の思った環境ではなかったこともあり、やる気が起こらず、充実した学生生活を送ることは出来なかったと記憶しています。

もしも私にも杉原千畝のような自分の意志を貫く強さがあれば、もっと違った人生になっていたかもしれないし、
心の傷や後悔といったものも無かったように思えます。


杉原千畝は答案を白紙回答したことにより、父から勘当されるわけですが、自分のやりたい道を貫くことが出来たわけでまわりが考えるほど本人は不幸ではなかったのではないかと思います。


彼は、外務省の奨学金を受けてロシア語を勉強する羽目になるのですが、ロシア語を流暢に話せる外交官が
1人もいないことから、ロシア語をマスターすれば重宝されるとロシア語を必死で勉強して外交官になりました。英語でないにしろ、外国語を流暢に喋る仕事に就きたいという夢は成就できたので納得のいく人生だったのではないかと思います。


彼は交渉術にもたけ、モノを安く買う才能は私が欲しいとしているものであり、
彼の才能が私にもあったらなとここでも思わされました。
満州鉄道を買収が任務だったわけですが、ソ連は提示額の20倍の値をつけたため、敗北は明らかでした。
しかし、諜報活動で情報収集し、満州鉄道は老朽化が進み列車が度々盗まれているなど、評価は周りが思っているほど良くないとその事実をソ連に突きつけ提示額の20倍の値で落札させようとしていたソ連から手を引かせます。そして、提示額の4分の1の値段で落札し、杉原千畝の有能さを周りに知らしめるに至りました。


その後、評価された杉原千畝は軍から多額の報酬を条件にスパイになるようスカウトされるわけですが、
軍の手先にはなりたくないという信念から断固として断り続けます。
また、ユダヤ人を日本のビザを発行する際、以下の厳しい条件がありました。
1.受け入れ先の国があること。
2.受け入れ先に行くだけの充分な旅費があること。
しかし、亡命してきたユダヤ人にそのような条件を満たしているはずがなく、ビザを発行する条件を意図的に拡大解釈し、ユダヤ人にビザを発行します。
すなわち、日本につくまでに旅費と受け入れ先の国を用意しておくことを条件にビザを発行したわけです。
これならば、欺いているとはいえ条件を無視したことにはならないので、言い訳がたちます。
さすが、頭の切れる人間だとここでも感心させられました。


その事が原因でゆくゆくは、外交官を退官させられることになるのですが、ロシア語の教師やロシアとの貿易会社の重役になるなど、頭脳と才能のある人は色々な転職先があるので、羨ましいと思いました。
小さい時に大金を払ってでも自分に投資しろという内容のことが以前本に書かれていたのですが、その時投資した以上の見返りがあるかもしれないので、小さい時に勉強に励む事の重要性を再認識させられました。


彼は勤め先を欺いてまで、ユダヤ人をアメリカやオーストラリアに亡命させるため日本のビザを発行しました。
その結果、イスラエル(ユダヤ人が作った国)で亡命させられた人から命の恩人だと慕われ、賞を受賞しました。命の恩人は、その時のビザを生涯大切に肌身離さず持っており、杉原千畝を神様だといっています。
6000人のユダヤ人を助けたわけですが、その子孫は10万人にも膨れ上がり、まさに名前のとおり千のウネを作ったと番組で言われておりました。私もまさに千畝という名前にふさわしい功績を残した人だと思いました。


私は杉原千畝は色々苦労もあったかもしれないが、幸せな一生を送れた幸せものだったのではないかと思います。


私は杉原千畝をここまで慕われて羨ましいと思ってみていましたが、
彼は晩年86歳で死去するためにこういっています。
私は人間として当たり前のことをしただけです。
立派な人格者だと私は思いました。
彼は後々称えられる為にとか賞を受賞したいがために助けたという打算や下心は全くなかったわけです。


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